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粋の象徴!?江戸時代の鳶が「花形」だったワケ!

丸太足場に

鳶職と言えば危険と隣り合わせながらも派手な仕事や、それに見合った高給などから「現場の花形」と呼ばれることもある職業です。
そんな鳶ですが、実は江戸時代は現場のみならず江戸の町全体で見てもトップクラスに憧れられるスターだったのはご存知ですか?
「えっ、ホント?」と信じられない人もいるかもしれませんが、大丈夫、これにはきちんとした理由があるのです!そこで今回は、江戸の花形であった江戸時代の鳶職についてご紹介していきます!

とにかく粋で派手!公私にわたって活躍する頼れる町の中心人物! 

そもそも「鳶」という仕事の語源は棟上の時、職人たちが梁から梁へ文字通り飛んだので「飛び(跳び)」から鳶となった言われています。そして我々の仕事が「鳶職」と呼ばれるようになったのは江戸時代からであるとも言われています。

現在ではあまり聞かれなくなった「職人」の言葉ですが、江戸時代には様々な分野を合わせると約百四十種類もの職人がいたといわれています。なかでも伝統と気概で江戸の花形だったのが、大工、左官、そして鳶(とび)の三職でした。彼らは経済の中心地である江戸の町を築き上げていった建設者であったため、「華の三職」ともてはやされていたそうです。

特に幼少時より長い修行を経た人間のみが名乗ることを許され、祭りなどの町のイベントを取り仕切ったり、町火消し(当時は民間のボランティアとして消防活動が行われることが多かった)において、建物の構造を熟知していることから中心的な役割を持っていた江戸の町の鳶は、江戸の町中の人気者だったと言われています。現在でも地域の祭りに鳶職人たちが積極的に参加しているのも、さかのぼれば江戸時代から続く伝統というわけですね。

また、彼らが人気だった理由としては他に、「派手好きで粋であった」という点も挙げられます。彼らの給料は他の江戸の町人たちと比べても非常に高いです。当時の町人の平均が約300文に対して、大工、鳶仕事は540文、この時点ですでに2倍近い差がありますが、ここから更に早朝、残業手当含まれ、実労10時間ともなれば、給料は倍となり、一日1,000文にもなるというのですから、どれだけ鳶が高給取りであるかおわかりになるでしょうか・・・笑
そして、様々なイベントで人様の前に立つことになる立場であり、同時にお金にも余裕があった鳶たちは、自然とオシャレで派手な装いや、豪勢に金を使った遊びを好むようになっていきました。まさに「江戸っ子は宵越しの銭は持たねえ」というやつです。

いかがでしたでしょうか?こうしてみると、意外に今の鳶職人にも当てはまることが多いような気がしますね笑
気前がよく、オシャレで、楽しいイベントごとでも町の危機であっても、常に町の最前線で活躍している・・・鳶たちが町のスターになるのは、実に自然な流れだったのですね。

(参照:建設 歴史あれこれ

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