消防の出初式で、お正月の伝統芸能として有名な「梯子乗り」、とび職と深いかかわりがあるって知ってました?
鳶職(または鳶)という名前が一般化してきたのは江戸時代で、梯子乗りは鳶の中から生まれた伝統芸能なんです。鳶のルーツをたどってみましょう。
一番古い記録は織田信長の時代!?
鳶とは、もともと上棟(むねあげ)のときに、建築途中の梁から梁へ「飛んで」移動したことからつけられたのだとか。身軽で高所作業を専門にする職人のことを「鳶」と呼ぶようになったのは江戸時代になってからで、それ以前は色々な呼び名があったようです。
一番古い記録といわれるのは、安土桃山時代の城建築に活躍した「穴太衆(あのうしゅう)」で、城を建てた後、仕事がなくなった職人たちの一部が、とび職に「転職」した記録があるんだそうです。
なるほど、鳶がいなければ、織田信長も、豊臣秀吉も城を持てなかったということなんですね。ゴジラが壊した大阪城も、大奥で有名になった江戸城も、元はといえば鳶の活躍があってこそ建ったともいえますね。
町火消しとして大活躍の江戸時代
鳶が職人として広く知られるようになったのは、なんといっても江戸時代の「いろは48組」の町火消全盛時代でしょう。
江戸時代の消火は、延焼を防ぐために家を引き倒す「破壊消防」といわれる方法でした。そのため、鳶の仕事道具であった「鳶口」「掛矢」を使いこなせることが火消しの必須スキル。更に命の危険がある火災現場で、高所作業が行える冷静さと身体能力の高さも必要だったことから、自動的に鳶が火消しを兼業するようなかたちになったようです。
知名度アップで鳶を題材にした歌舞伎も作られたり、今でも時代劇の中で、ハッピを着た職人が鳶口や「まとい」を持って走り回るシーンでおなじみの「め組の辰五郎」など、歴史に名を残す鳶の親方もいます。
当時は鳶=火消しと考えられていたようです。
梯子上りは鳶の伝統芸能
出初式と一緒に行われる梯子上りは、元はといえば、とび職が日ごろの訓練として行っていたものから、曲芸として発展していったものだそうです。
江戸時代の鳶の消火活動に、梯子は欠かせないものでした。火事が起こると、梯子を立ててそのうえで「まとい」をふるって、周囲の住民に火災発生を知らせたり、風向きや火の広がりを見たりすることにも使われていたそうです。高く、不安定な梯子の上で活動するためには、普段から筋力や柔軟性を鍛えておかなくてはなりませんね。鳶は身軽さと体の柔らかさが大切なのは、昔も今も変わらないようです。
まとめ
鳶は伝統ある素晴らしい仕事だ!ということを再確認していただくための記事でしたが、いかがでしたか?あなたも家族とのお出かけやデートで出初式の梯子乗りを見て、さりげなく自慢してみては!?
友達にも鳶の事を教える。