次世代の職人を育てる大切さ

足場職人として、10年を超えると、現場のエースとして指揮監督をする立場となり、「次世代を育てる」という課題と向き合いつつ、己の技も磨いていく時期になる。安定した中堅になると、会社の中でもベテランと新人をつなぐ要としての役割を求められるようになっていく。

職人の数だけ流儀がある、と言われる足場の技術を、次世代へつないでいくために、どのような教育をしていくべきなのか?難しい課題です。

「昭和の頑固おやじたちに職人として育ててもらったけれど、「今の若い子たち」は、俺たちの時代とは違った教育が必要になってくると思います。」

そう語る谷内清浩さんは、31歳の若きエースでありながら、現場の段取りを回し管理する役どころを任されています。鳶職人として足場鳶の「これまで」「これから」をお伺いしました。

16歳で弟子入り

―鳶職人になられたきっかけをお伺いさせてください。

「始めたのは16歳からです。実は高校に落ちてしまって。それまで親に散々迷惑をかけてきた、という自分の中の負い目もあり、「これ以上、親に迷惑をかけるのは、絶対いかん!いつまでも遊んでるわけにはいかん!」と。同時期に、周りでも職探しを始めていた友人や先輩もいたもんですから、そういうところからも刺激を受けたんです。

そんな頃目にした鳶職人さんたちの七分姿がとてもカッコよく思えて、強く憧れたことがこの道に入るきっかけでした。

―始めた当時はどんな感じでしたか?

「始めた頃は、一言で言えば「ムチャムチャ、キツかった。」ですね。私が入った職場は、みんなバリバリのベテラン職人ばかりで、そんな中にポツンと一人だけものすごく若いわけです。もう、何をどうしていいやらわからない。
当時の職人の教育は、「見て覚えろ」が主流だった時代。何も教えてもらえないのに、失敗するとものすごく叱られるわけですから、まあ、最初は辛かったですね。」

―その後、今の会社へ入られたんですね。

「僕ね、鳶職人になってから、転々と職場を変えていたんですよ。それで、今の会社の社長は、僕のことを初めて評価してくれた人だったんです。社長とは何度も一緒に現場も回りましたし、自分にとって「この社長なら付いて行きたい!」と思いました。僕個人の今の目標は、会社を大きく発展させていくこと。それが、これまで良くしてくれた社長への一番の恩返しになるんじゃないか、と考えています。

―鳶職人として今までで一番印象に残った現場、というのはありますか?

「全て、ですね。足場って長く残るものではないうえ、現場ごとに全て1回、1回が全ての条件が違う難しさがあるじゃないですか?
けれども、本体の作業が終わったら、すぐ解体されて跡形ものこらなくなってしまう。だからこそ、これまで関わってきた現場はどれも、大切な思い出として記憶に残っています。一つとして同じものはないからこそ、美しく・安全に・使いやすく、と強く意識する面もありますね。」

無骨な金属の塊のように思われがちな足場。しかし、そこには職人だからこそ分かる「はかなさ」もある。だからこそ、1回、1回がとても大切であり、真剣勝負。美しく、安全に、とは、足場職人だからこそ考える信条であり美学でもあるのだろう。(写真は谷内さんが手がけた足場)

谷内さん

 

(インタビュー後半『昔のやり方では今の若い子はついてこない』)

友達にも鳶の事を教える。

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