今回紹介するカコトビさんは、皆さんが一度は聞いたことのある超有名人、元内閣総理大臣「小泉純一郎」さんのおじいさんにあたる方です。彼は横須賀市長、逓信大臣、衆議院副議長と言った華々しい肩書をこなす一方で、その出自は港の荒くれ者たちをまとめ上げるとびの大親分という、まるでドラマかマンガから出てきたかのような政治家さんでした。それでは、早速紹介していきましょう!
政治家/小泉 又次郎
(出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%B3%89%E5%8F%88%E6%AC%A1%E9%83%8E)
小泉又次郎は1865年6月10日、武蔵国久良岐郡六浦荘村大道(現在の神奈川県横浜市金沢区大道)にとび職人の父・由兵衛、母・徳の次男として生まれました。
ほどなく又次郎一家は横須賀に移ることとなるのですが、彼の父である与兵衛がまた凄い人でした。彼は鳶の親方として活躍する傍ら、「請負師」という人材斡旋を行う仕事をしていました。この請負師が斡旋する人たちは荒くれ者が多く、彼はそんな腕っぷしの強い男たちをまとめ上げるリーダー的な存在であったというわけです。
又次郎は最初、そんな父の鳶家業を継ぐのを嫌がり、軍人となる為に無断で家を飛び出し、軍の士官学校等に入学するなど、自由奔放に生きていました。ですが、兄が急死したことで急きょ家に呼び戻され、与兵衛に家業を継ぐように強く命じられた又次郎は、体に入れ墨を掘り、鳶の親方として横須賀のつわものたちをまとめ上げる父の仕事を引き継ぎました。当時の入れ墨は荒くれ者、ヤクザ者の象徴であり、立派な入れ墨を彫っっているというのは、そんな彼らの世界ではある種のステータスでもありました。又次郎は、この世界に入り起床の荒い職人たちを束ねる立場になることの覚悟を、入れ墨を彫ることで示したのでしょう。そしてこの時に彫った入れ墨が、後に大衆政治家として人々から人気を博した彼の愛称である「いれずみ大臣」、「いれずみの又さん」の名を生んだのです。
若い頃は反発していた鳶仕事でしたが、与兵衛の血を引いていたからかその適正は抜群でした。あちこちの現場を回り的確な指図をする手腕とカリスマ性により、又次郎はたちまち港町の職人たちから信頼を得ることに成功します。そして、いつしか彼は港の男たちから親分と呼ばれ慕われるようになった又次郎は、横須賀の町の中心的な存在へとなっていくのです。
持ち前の才能を発揮し、職人たちのリーダーとなった又次郎。そんな彼がどのようにして政界へと進出していくのか?それは次回お話するとしましょう!
友達にも鳶の事を教える。