江戸時代から続く、鳶職人の伝統芸能といえば梯子乗り。
時代劇でも登場する「め組」などのいろは47組江戸火消しは、自分の組を表す染め抜きをした目立つ衣装を着ています。およそ350年もの長い歴史を持つ「あの」衣装の秘密に迫ってみました。
消防団では今でも正式の制服!梯子乗りの「あの服」の正式名称は?
「梯子乗りといえば「はっぴ(法被)」お約束ですね!」と、梯子乗りの伝統を守る鳶職人さんたちに言ったら、
「ばかやろー、これは法被じゃねぇ!印半纏(しるしばんてん)ってーんだ!」と、江戸っ子口調でバッサリやられてしまうかも!?
「えっ???でもでも、お祭りで神輿を担いだり、太鼓叩くときの「アレ」は、法被っていうんじゃ・・・?えー???どういうこと??」
見た目そっくりな法被と印半纏、何が違うから名前が違うのでしょうか?
よく似た二つですが、違いの一つは「由来」です。印半纏とは、読んで字のごとく「印の入っている、半纏」のこと。現代社会で半纏といえば、綿入れの和風冬用防寒着、というイメージが強いですが、元々は、筒袖で丈の短い仕事着の総称でした。そして、江戸時代は様々な職人さんたちの仕事着として広く利用されていたんです。それぞれの職人さんたちは、自分の屋号などを半纏の背中に染め抜いて仕立てる習慣でした。これは士農工商の身分制度がガッツリ決まっていた時代、何の職人なのか、身分が一目で識別できると同時に、広告としての効果もあったようです。
梯子乗りの伝統はご存知、江戸時代の町火消。火消しは組の中でそれぞれ役回りが決められていました。火災の現場で消火活動に右往左往する中で、誰がどこの組に所属していて、何をする人なのか、一目で見てわかるように区別する必要から、役職や所属を柄や紋で表す決まりをつくって、組ごとにお揃いの役半纏を着るようになったんだそうです。
つまり、今で言えば、火消し半纏(印袢纏)は、消防士さんのユニフォームみたいなもんですね。
図柄で変わる「役半纏」と「総形伴纒」
時代劇に詳しい鳶の中には、「時代劇の「め組の辰五郎親方」が着てる半纏と、最近の消防団の半纏じゃ模様が違うじゃねえか!?300年も歴史ねぇんじゃねーの?」とツッコミを入れたくなる人も居ると思います。
実はですね、火消し半纏にも江戸時代から続くものと、明治以降の2系統があるんですね。明治以降に消防が警察組織に組み入れられてから利用されるようになったのが「役半纏」といって、今もお馴染みの、濃紺と赤に腰のあたりに白いラインが入ったもの。
半纏全体に独特の柄があしらわれていて(総柄)、背中に役柄などを表す印を入れてあるのが、江戸時代から続くもので、こちらは「総柄半纏」と区別して呼ばれています。
一般財団法人江戸火消記念会ホームページには、写真と一緒により詳しい説明が掲載されています。興味がある方は、ぜひごらんあれ!
現在も正規の制服として利用継続中!?
地方都市の出初式や、ボヤなどで消防団が出動すると、お揃いのツナギの上から、わざわざ火消し半纏を着込んで登場されることがあります。
出初式はイベントだからともかくも、実際の火事の時に着てきているのを見て「こんなときに、わざわざカッコつけなくてもいいだろう!」とムッと腹だたしく思ってしまう人もあるのでは?
ところが!なんと、この火消し半纏は、現在も「消防団員制服基準」に適合する、正規の制服として認められているんです。総務省消防庁の規定では「乙種服」として登録されています。だから、消火活動の時に消防団の火消し半纏を着てこないと、むしろ「マズイ」ことになるんですね。
とはいえ、地方の低予算消防団などでは、半纏1枚にかかるコストもあまりバカにならないようで、最近は「全員に貸与」となってないところもあるようです。
消防団によって、半纏のデザインにはそれぞれの特徴があって、見るだけでも楽しめます!検索してみたものを一覧にしてみました。ぜひ、ご覧ください!
金沢市消防団
http://fire.city.kanazawa.ishikawa.jp/syouboudan/4kagatobi/4isyou-4.html
法被(はっぴ)と半纏(半天・はんてん)の由来・歴史のお話 (その他)
https://shop.plaza.rakuten.co.jp/tospa/diary/detail/201306180001
大名火消し「を組株式会社」
http://ogumi.biz/navvy.html
富山「若鳶会」
http://toyama-tobi.jp/tobi/
難波鳶伝統保存会
http://n-tobi.or.jp/product/hanten/
友達にも鳶の事を教える。