足場のあらゆることを紹介していくこのコーナー、今回日本における足場の歴史を紹介していきます。
最初の足場は丸太だった!?目覚ましく進化を遂げる足場の遍歴!
日本においては、仮設資材(足場)といえば、古くは丸太足場のように多くは木材でつくられていました。まっすぐな細い丸太を、建前の住んだ構造物の周りに組んで、その後の工程をやりやすいように足場を組む。・・・というのはもう昔の話。今ではほとんど見かけることはなくなりましたが、伊勢神宮で20年に一度行われる神宮式年遷宮に代表される神事祭礼の際には、古代にのっとり丸太足場を組んで行われる場合があります。
しかし、今ではほとんどの場合、鋼管と鋼材の機能的なくさび足場を使います。丸太足場もくさび式足場も丸太足場も一長一短がありますが、(これは第1回や、今後の回で詳しく触れていきましょう)丸太足場は現在では失われつつある技術となっています。その理由の一つとしては、昭和20年代後半、日本の資材利用合理化推進運動が林野庁から唱えられるようになり、その為木材に代わり大手建設業者の間では鋼管足場の開発の研究が本格化したことが挙げられます。
東海道五十三次「吉田」
普請中の吉田城に足場が組まれているのがおわかりになると思います。
その後、昭和28年の春頃、大手技術者の集まりである「水曜会」において丸太足場に替えて鋼管製の足場が提言、検討されたといわれています。そして翌年5月に日本ではじめて東京都大手町の東京産業会館の施工現場で単管足場が使用され、高さ約33m、足場面積400坪(1,320㎡)の規模で行われました。
また、現在足場の主流の一つとなっている枠組足場については、昭和28年5月にビテイ・スキャフォード株式会社が枠組足場の部材作成について株式会社石井鐵工所の高浜工場に依頼し、この時つくられたものが国産第一号となります。
しかしながら枠組足場は昭和30年ごろに至っても、一般の建設業界では、「枠組足場は使用しやすくかつ安全性が高いといわれながらもイニシャルコストが高く、かつ単管足場と比較してそれにかかる部材が多いという理由で普及が進まず、造船所や土木の一部現場で使用されるにとどまりました。
そして、近年、日本に住宅事情から木造家屋等の低層住宅では、足場を設置する敷地が狭く、建物の形状が複雑であるため、それに対応すべく盛替え、組み換え作業が簡単に建物の形状に容易い対応できる足場としてビケ足場・・・すなわち「くさび式足場」が使用されるようになったのです。
当初、木造家屋等低層住宅工事用の足場として使用されてきましたが、近年ではその足場の部材を用い本足場として組み立て、中層建築工事用の足場としても多く利用されています。そして現在、くさび足場は枠足場と並び、足場の第一線で活躍しているのです。
昭和中期から登場した単管足場を皮切りに、目覚ましい発展を遂げてきた日本の足場業界。最近ではくさびと枠のハイブリッド的存在である次世代足場も現れ、ますます進化を続けている様子です。この調子で数年後、数十年後の足場がどうなっているのか・・・想像もつきませんね笑。
友達にも鳶の事を教える。